西安 



空港から兵馬俑に向かう途中、漢の武帝の墓が小山のように畑の中にあった。
当時、皇帝が死ぬと臣下は、その近くに墓を作るのが光栄なことだったそうで、大きな墓の側には、いくつもの小山がある
のだそうで、南のほうでは、畑の中にボコボコあるのだそうだ。

兵馬俑。ここを見無くては、中国に行ったことにはならない。。。是非行きたいと、いぜんから思っていた。
1974年に井戸掘りをしていた農夫が見つけた、小さな陶片からすべてが始まった。
始皇帝が、皇帝になってすぐに始めたのが、70万人の囚人を動員しての自分の死後の世界である墓を造ることだった。
当時、皇帝が死ぬと、愛妾、側近、兵隊。。。と、みんな連れて墓に埋めたものだったそうだ。。コワイ。
しかし、部下の一人が、それでは息子の代になったら、優秀な武将がいなくなって、国が滅びると進言し、それではと
埴輪を作ることになったそうだ。 その、一人一人をモデルに、そっくりに造られた像は、髪型、衣服、靴、顔かたち、手相
までも、本人そっくりに作られ、現在6000体が発掘されている。
その後、項羽によって、破壊され、燃やされたため、その発掘作業は、今も続いている。
スゴイ、そのスケールの大きさは、行ってみないとわからないかも。。。しかし、1時間20分の時間でも、見切れなかった。
みやげ物屋に40分もとるのなら。。もう一度、まわりたい気持ちが一杯だった。(T_T)

西安は、見るところ、が沢山あるところだった。



青銅製の馬車
発掘後、バラバラになった陶片をつなぎあわせて。。。
始皇帝がなくなってから、項羽が、攻めてきたた。
墓を暴こうとして、沢山の埴輪の並んだここを発見した。
あまりに成功に作られていて、いた為、多くの知った顔は
叩き壊され。 火を放たれた。

兵馬俑は、幾筋もの溝が彫られ、埴輪を並べ、その上に
柱を横にならべ、ムシロが覆われ、その上に土が6mも
被せてあったといわれている。

ほとんどの埴輪はつぶれ、弓等の武器は、燃えてなくなった。

左は、その発掘直後の様子
跪射武士俑

かつては、色彩が施されていたもよう。
出土して1週間で色が失せるそうで、今は、発掘後
また、元のところに埋めなおしているとのこと。

この像は、無傷で出土した。
将軍俑
漢の武帝の墓 黄河の第一支流 茶色の河
























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